漢文を読もうとするときの机の上は

漢文を読もうとするときの机の上は、散らかって見える。

まずは『新字源』や『漢辞海』、藤堂明保の『学研漢和大字典』あたりに手を伸ばす。熟語を探す場合『大漢和辞典』や『漢語大詞典』あたりでヒントをもらい、用例を見ながら着地点を探っていく。後ろの棚にある『佩文韻府』や『駢字類編』も見るけれど、最近は少しさぼり気味で、インターネット上で公開されている索引などを利用させていただくことが多い。煮詰まった時に『支那文を読む為の漢字典』を捲っていると、すっと解決するときがあるから侮れない。あ、『芸文類聚』とか『太平御覧』をダラダラと眺めるのも愉しいですよね、時間がかかりすぎるけど。調べるほどに必要な本が増え、机や床に積み重なり、そのうち足の踏み場もなくなっていく。そのうち飽きがきて、院生時代、ゼミの前日などはいつもこんな感じだったなぁ、あの頃のゼミ生は今どうしているのかなぁなどと、物思いにふける。結局、机の上のみならず、頭の中までもが、あれやこれやと散らかっていく。

・・・・・・所詮はしろうとだからこの程度だけれど、それでも一日こんなことをしていると、あまり心地のよくない疲れがたまる。机の周りに散らかった辞書を書架に戻すのも気怠い、ある日曜日の夕暮れに。