タンドリーチキンの食べながら

この土日で、少し集中的に仕事を進めました。最近の大学図書館は夜間まで開館している所が多いので、金曜日の仕事終わりに立ち寄って資料を集め、土・日にかけて書き進めていくのが、一番効率的かなということで。

今日はどうしてもファミレスで食事をしたい理由があり、原稿に一応の目処をつけて、夜の8時近くにジョナサンへ。家族で賑わう店内の片隅で、一人タンドリーチキン&メキシカンピラフを食べ、コーヒーを飲みながら、ざっと資料に目を通す。少し騒がしい方が、こういう作業は捗るから不思議。

〆切に追われて

とにかく作文が苦手だった。あの400字詰原稿用紙1枚を埋めることだって、苦痛で。昔、夏休みの宿題の一つに日記が出され、日々原稿用紙を埋めなければならない、悪夢のような夏の終わりを経験したけれど。その頃にくらべれば、最近はずいぶんとマシになり、風呂上がりのひとときを書くことに費やすことができる程度には、成長したようだ。

しかし振り返ってみると、あの夏の終わりのような状況は、その後も繰り返し繰り返し私の前に立ち現れてくる。原稿の進捗状況を問われて「今送ります」と答えた〆切の日の夕暮れ、徹夜して書き続け泥のように眠ったあの日の草稿。余裕をもって書き上げている場合もあるけれど、その場合はたいてい、平行して他の〆切に追われているときで。

〆切は人を悩ませる。けれどもそれは、人をさらに一歩成長させてくれるものでもあるようだ。

漢文を読もうとするときの机の上は

漢文を読もうとするときの机の上は、散らかって見える。

まずは『新字源』や『漢辞海』、藤堂明保の『学研漢和大字典』あたりに手を伸ばす。熟語を探す場合『大漢和辞典』や『漢語大詞典』あたりでヒントをもらい、用例を見ながら着地点を探っていく。後ろの棚にある『佩文韻府』や『駢字類編』も見るけれど、最近は少しさぼり気味で、インターネット上で公開されている索引などを利用させていただくことが多い。煮詰まった時に『支那文を読む為の漢字典』を捲っていると、すっと解決するときがあるから侮れない。あ、『芸文類聚』とか『太平御覧』をダラダラと眺めるのも愉しいですよね、時間がかかりすぎるけど。調べるほどに必要な本が増え、机や床に積み重なり、そのうち足の踏み場もなくなっていく。そのうち飽きがきて、院生時代、ゼミの前日などはいつもこんな感じだったなぁ、あの頃のゼミ生は今どうしているのかなぁなどと、物思いにふける。結局、机の上のみならず、頭の中までもが、あれやこれやと散らかっていく。

・・・・・・所詮はしろうとだからこの程度だけれど、それでも一日こんなことをしていると、あまり心地のよくない疲れがたまる。机の周りに散らかった辞書を書架に戻すのも気怠い、ある日曜日の夕暮れに。

昼休みの過ごしかた

昼休みは蕎麦を食べてから河川敷まで歩き、そのままゆるりと周囲を散策して帰る、というパターンが最近のお気に入り。あるいは買ってきた弁当を広げて食べ、早足で職場近くまで戻り、古本屋をのぞいて一、二冊の本を買う。自宅からここまではおよそ一時間以上、通勤もけして楽ではないが、比較的充実したお昼休みを過ごせるのはありがたい。神保町にいたころもよかったが、古本屋めぐりが過ぎてしまい、疲れ果ててしまうこともしばしばで。仕事の合間のひとやすみとしては、いまぐらいがちょうど良い。

教えを受けるということは

ある方のインタビュー記事をまとめるにあたり、いただいた句集やエッセイを読み返している。昔、教えをうけるということは、その方の人格をいただくことなのですよ、とおっしゃっていた方がいらしたが、なるほど、お話をうかがい、その人の書いた文章に接するということは、そういうことなのかもしれないな、と思い起こした次第。

最初の1枚目

さる方のお薦めもあって、日々のよしなしごとを書き連ねることにいたしました。自由に、呼吸をするように文章を書くことのできる媒体をもつということも、大事なのかなと思い、現実の仕事や研究活動とは離れて、当面は、名乗らず気ままに続けていくつもりです。どうぞよろしくお願いいたします。